母について

 母に似てきたなあ、と感じることがあります。二十数年ひとつ屋根の下で暮らしていたのだし、子が親に似るなんて当たり前のことなのでしょうけれども。それでもふとしたときにわたしの中に母を見つけると、やはり親子だなあと思わずにはいられません。母はとても元気な人です。還暦を越えた今もとてもバイタリティに溢れています。山に登ったり、押し花にはまったり、書道に打ち込んだり。齢半分の娘から見てもその元気は一体どこから湧いてくるのかと不思議になるくらい、生き生きしています。

 「昔は病弱だったのよ」と母は言います。二十代の頃は痩せていて体力もなく、疲れやすくて病気がちだったと。そんなことが信じられないくらい、今の母は健康で頑丈です。わたしが小学生の頃だったと思います、母が筋トレをするようになったのは。それ以来、我が家にはダンベルやプロテインが常備されるようになりました。母の背中は還暦越えの女性とは思えないほど引き締まっています。背筋がすごい。気づくと家のどこかで何かしらの筋トレや体操をしています。その影響か、娘も毎日腹筋をしています。

 「こーいが走り出したらー きーみは止まらないー」母は歌います。ラジオから流れてくる福山雅治に合わせて、台所で歌っています。謎の作り歌を歌っていることもしばしばです。わたしが小さい頃は「補助輪の歌」や「洗面器の歌」といった身近なものを題材にしたオリジナルソングを一緒に作詞作曲し、父に聴かせるなどしていました。音楽が好きだという類のことを母の口から聞いたことはありません。でも何かにつけて歌っています。「このあいだ、りりちゃんがお風呂でマライア・キャリー歌ってるの聞いちゃった。上手かったね。」母は屈託なく言います。まさか聞かれていたとは!娘は恥ずかしくて顔から火が出るかと思いました。

 「若い頃、クラッシュとトーキング・ヘッズが大好きだったの」母から初めての告白です。わたしが中学にあがり洋楽にはまってからその言葉を聞くまでの十五年間、一度でもそんな気配を感じたことはなかったのに。この血は母ゆずりだったのかいな。グッド・シャーロットが表紙の音楽雑誌を出しっぱなしにしたまま学校に行ってしまった日には、万が一母にそれを見られようものなら「りりちゃんは不良になった」と思われるのではないかと気が気じゃなかったのに。娘のひやひや、返してください。

 「チリホットペッパー、ママも見たい」レッド・ホット・チリ・ペッパーズがミュージック・ステーションに出演したときの台詞です。おしい。見たいと言いつつ出番を待ちきれない母はお風呂に入りにいき、あがった頃には彼らの出番は終わっていました。おしい。しかし五年後、再びチャンスが訪れます。レッチリが再度Mステに出演したのです。見たいと言いつつ出番を待ちきれない母は犬の散歩に行き、帰宅した頃には彼らの出番はまたしても終わっていました。おしい。果たして、母がMステでレッチリを見られる日は来るのでしょうか。娘は次の来日が楽しみです。

 母は陽気で強気です。わたしと二人きりで話すときでも複数人で集まっているときでも、いつのまにか会話の主導権を握り言いたいことをどんどん言います。誰かがボケればすかさずツッコミを入れ、ヒヤッとさせられるような発言をすることもあります。ちょっとデリカシーに欠けるわよね、言葉にはもう少し気を遣えばいいのに、とこちらは内心憤ったりします。反面教師にしよう、と思うこともあります。それでも、わたしが気心知れた仲間とわいわいしているとき、ふと出たツッコミが母のそれだったりするのです。そういうとき娘は、やっぱりわたしはママの子なんだわ、としみじみしたりしています。

お葬式でもパワーポイントを流せばいい

 祖父が他界しました。93才でした。最後に会ったのは10年も前で、棺の中で眠る祖父はわたしの知っている姿よりもずいぶんと痩せて、小さくなっていました。

 お坊さんがお経を上げはじめました。祖父との思い出が心に浮かんできます。立派なお雛様を贈ってくれたこと、お正月は親戚たちで祖父の家に集まったこと。わたしが思い出す祖父はみな「おじいちゃん」としての姿です。ふと、祖父がわたしの「おじいちゃん」になる前はどんな人生を生きてきたのだろう、と思いました。どんな子供時代を過ごして、どんな暮らしをしていたのだろう。どんな青年で、どんな風に祖母と出会ったのだろう。仕事の悩みとか熱中した趣味とかあったのかな。わたしよりもずっと前に生まれ、わたしの知らない時代を生き、わたしの父を生んだその人のことを直接知る機会を失ってしまったのだと思うと、何とも淋しく悔しい気持ちになりました。わたしは祖父とあまり話をしたことがありませんでした。

 読経は続きます。あちこちからすすり泣きが聞こえてきます。みんな悲しいのです。わたしも泣きました。祖父の人生に想いを馳せ湧き上がってくる感情と向き合っている内に、もしも自分が送られる側だったら、ということを考えるようになりました。わたしのお葬式ではみんなに笑顔でいてほしいと思いました。わたしの人生に起きた面白いことや楽しいこと、愉快で素敵なたくさんの出来事を知ってもらいたいと感じました。祭壇の両端にはモニターがあり、画面には葬儀の様子が映し出されています。そのときわたしは気づきました。「お葬式でもパワーポイントを流せばいいのだ」と。

 結婚式では新郎新婦の馴れ初めVTRを流すというのが定番になっています。お互いどんな子供時代を過ごして、どんな風に出会ったのか。どんなデートを重ねて結婚に至ったのか。二人のことがよくわかるし見ているだけで幸せな気分になれます(わたしもこのVTRが流れる時間が大好きです)。この出し物の特筆すべき点は、写真・映像・音楽・雰囲気の相乗効果で「ドラマチックな物語」を演出できるところだと気づきました。なぜなら使い方次第では、ふたりの間に起こった痴情のもつれ等々当事者にとって都合の悪い部分は排除して「素敵な出会いと恋愛を経て結ばれた愛すべきカップル」というポジティブな印象を見る者に与えることができるのですから。

 本人亡き今、故人がどんな人だったかは遺された者たちによって語られます。幸いにも祖父には兄弟姉妹が沢山おり、わたしには沢山の親族がいます。思い出話は尽きません。「そういえばあの時は」「こんなこともあったよね」、悲しみの中にも笑いが起こり、和やかな空気が流れます。旅立った祖父もどこからかわたしたちの様子を眺め「そんなことは言わなくていい」「違う違う、そうじゃない」と茶々を入れたりしていたかもしれません。騙されて借金をつかまされたとか、大学時代に留年したとか、早く忘れてほしいことほど他人は何かと覚えていたりするものです。生前にパワーポイントを準備しておけば、こういう事態は防げます。他人の思い出は変えられませんが、全体的な印象を底上げすることはできます。頼るべきは写真・映像・音楽・雰囲気の相乗効果。つまるところお葬式におけるパワーポイントとは、故人による「戦略的情報マネジメント(悪く言うと印象操作)」と言うことができます。

 そんなことを思いついて未来のお葬式は楽しくなりそうだとほくそ笑んだりしていたのですが、現実に目を向けるのを忘れていました。わたし、独身、ひとりっ子。このまま行くとそもそもお葬式に来てくれる人がいないのでは!?ショック。フェスではしゃぐ写真をパワポに収めて、孫たちに「え、おばあちゃん夏フェス好きだったの?まじぱねえ」って言われたかったのに。ここぞというところで涙を誘うくだりを作って天国からしめしめしたかったのに。いやいや、どうしたものか。わたしもそう遠くない将来、自分の家族を持てるかしら。持てたらいいな。おじいちゃんがいなければわたしは生まれていないし、そのおじいちゃんにもおじいちゃんがいる。血のつながりとそれによって広がっていく世界を目にすると改めて、家族って、親戚って、人間って、すごいなあと思うのです。

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先月の中ごろに村上春樹スプートニクの恋人』を読んでからというもの、「あちらの世界」と「こちらの世界」について考えたりすることが多かった。ひょっとすると今回の件の心の準備だったのかな。

 

lili-pense.hatenablog.com

 

 

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

 

 

 

鹿島茂コレクション鑑賞之心得

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 子供より古書が大事と思いたい ― なんと衝撃的な言葉でしょう。そんな親いるの!?と目を覆いたくすらなります。実はこちら、鹿島茂(かしましげる)なる人物が1996年に発表したエッセイのタイトル。フランス文学者として明治大学で教鞭を執る傍ら、古書マニアとして19世紀のフランスで出版された稀覯本(歴史的価値の高いヴィンテージ本)の収集に励みつつ、集めた古書を資料にしながら文学解説書やエッセイ本を次々と執筆したりしているお方です。肩書は文学者ながらエロにも造詣が深く、広い守備範囲と愉快軽快な語り口に魅せられて、たった一冊読んだだけでわたしはファンになってしまいました。

 そんな鹿島先生が身銭を切って集めてきたヴィンテージ絵本のコレクションが一堂に会する展覧会が本日3月21日(祝)より、東京都目黒区の庭園美術館にて始まります。その名も『鹿島茂コレクション フランス絵本の世界』展。フランスかぶれな紳士淑女のみなさま、血が騒ぎませんか?多分に漏れずわたしもフランスに憧れを持つ一人であり、過去に開催された鹿島茂コレクションにもこれまで二度、足を運びました。

 昨年5月、何の気なしに出かけた練馬区立美術館での『パリ時間旅行』展。そして半年後の12月、先生から直々にいただいたチケットを握りしめ向かった群馬県、館林美術館の『フランス絵本の世界』展。身をもって体験したから言える。鹿島茂コレクションはとんでもないぞ!一度目の練馬で圧倒され、打ちのめされ、その教訓を胸に挑んだ館林でもなお完膚なきまでに骨抜きにされたわたしは「ああ」「もう」「すごい」以外の語彙力を奪われるという事態に見舞われました。

 日頃から様々な美術展に出向くことも多いのですが、鹿島先生の展示は明らかに「量」と「質」においてその他の展覧会とは一線を画しています。所狭しと飾られたコレクションの数々。目の前に広がる本と絵の海。まるで当時にタイムスリップしたかのようにパリの街並みや子供たちの暮らしが鮮やかに目に浮かんできます。展示数もさることながら、解説の素晴らしさたるや!ここまで懇切丁寧に解説がなされた展覧会は見たことがありません。「展示と解説」という美術館お決まりの形式の中に、溢れんばかりの情熱や、こだわりや、意地や、愛やらが詰め込まれているのです。少々大げさかもしれませんが、先生のコレクションを通じて、わたしは鹿島茂というひとりの人間の生きざまを垣間見た気がしました。

 さあ、ここまで書けばおわかりでしょう。みなさんを待ち受けるのはもはや「展覧会」ではなく「小宇宙」です。これでもかと現れる素敵な展示、読まずにいられない解説文。心と頭はフル稼働です。必要な対策は、エネルギー補給・休憩・アウトプット。これらを怠ると思考停止や放心状態に陥り、最悪の場合には家で寝込んだり翌日の仕事を休む羽目になったりします。ということで、後学のためにも鹿島茂コレクション鑑賞時の心得を書き記します。

 ~鹿島茂コレクション鑑賞時の心得~

 一つ、前日は十分に睡眠時間を確保せよ

 二つ、鑑賞前に腹ごしらえをせよ

 三つ、館内の椅子でこまめに休憩せよ

 四つ、鉛筆とノートを持参せよ

 五つ、時間はたっぷり確保せよ

 美術館好きな方は日頃から実践していそうなものばかりですね。それでもダメ押ししたくなるくらい、鹿島コレクションはとんでもないぞ!庭園美術館ではその名の通り庭園も楽しめます。お天気に誘われて、何かの予定のついでに気軽に出掛けても十二分に楽しめるはず。でも、せっかくならば、じっくりと先生のコレクションと向き合って19世紀のパリにひたってみませんか?ほんの少し準備をして行くだけで心と体に余裕が生まれて、鹿島ワールドをより深く味わえること請け合いです。

子供より古書が大事と思いたい (文春文庫)

子供より古書が大事と思いたい (文春文庫)

 
フランス絵本の世界  ―鹿島茂コレクション

フランス絵本の世界 ―鹿島茂コレクション

 

www.teien-art-museum.ne.jp

 

はじめての春樹

ブログを書こう書こうと思っているうちに2月が終わってしまいました。

好きな音楽とか、はまっている映画のこととか、書きたいことの種はあるのだが如何せん筆が進まない。溢れてくる情熱に対してわたしの技術が追いついていないからなのかしら。なんというか、こう、書きたいことの魅力を簡潔に、わかりやすく、こなれた表現に落とし込みたいと思えば思うほど気持ちだけが空回りして、時間だけが過ぎていくのですよ。

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物心ついてから生まれて初めて、村上春樹氏の著作を読み切りました。『スプートニクの恋人』です。日本中に幾多のファンを抱え、海を越えその名を世界に轟かし、ノーベル賞にまつわるお決まりの流れがもはや定番になりつつあるあの村上春樹氏です。

わたしは彼の本が読めなかった。大学の授業で『ノルウェイの森』を知り、興味本位でページをめくってみたけれど、飛び交う片仮名とどこか達観したような語り口に虫唾が走った。内容がまったく頭に入ってこない。生理的に無理、受け付けない。瞬時にそう判断して、その後数年彼の本を手に取ることはありませんでした。

しかしながら、我が国の出版界は否応なしに彼にスポットライトを当てます。『1Q84』(最初読めなかった)。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(タイトルだけで鳥肌もの)。そして昨年出版された『騎士団長殺し』(普通のタイトルに安堵)。新刊が出るたびに湧き上がる春樹熱。彼のどこがそんなにすごいのか。その議論のほんの端っこだけでも味わってみたい。みなが褒める春樹というものをわたしも読んでみたい。そういう思いは長年わたしの中でもやもやと存在していたのだと思います。

そしてついに!齢三十にして初めて!村上春樹を読んだ。読み切った。読んでやった!「わたしにも春樹が読めたぞ、ほらみたことか」という謎の満足感に満たされている今。きっかけはとある本屋さんですすめてもらったというだけのことなのだけど。曲がりなりにも一冊は読んだから、自信をもって言える。わたしはやっぱり彼の文章が苦手です。

読みだしてからしばらくは大変でした。『ノルウェイの森』とときと同じ現象です。情景も浮かばなければ感情移入もできない片仮名だらけの比喩に、「なんじゃそりゃ」「意味わからん」とひたすらつっこみを入れながらページをめくる。1ページにつき1つっこみ。こんなにつっこみを入れながら本を読むという経験は生まれて初めてです。そして僕とすみれの会話。まったく頭に入ってこない。ついには「なだぎ武演じるディラン・マッケイと友近演じるキャサリンの声で二人の会話を再生する」という術を身につけることで、独特な言い回しへの違和感を克服するという術を覚えました。読み切れたのは、登場人物である僕、すみれ、ミュウの三人それぞれにわたしが共感できる生い立ちや経験が一つずつあったこと。後半の出来事をきっかけに会話のシーンがぐっと減り、すみれの手記と僕のモノローグが大半を占めるようになったこと。この二つがあったからだと思います。

彼の文章を通じて彼の世界観を垣間見て、そこに魅了される人々がいる意味もわかりました。音楽や文学やそれにまつわるなんやかんやが大好きで、それらをふんだんに彼の物語に登場させたくなる気持ちもよくわかりました。彼なりの美学があるのだなと思いました。でも、わたしにとって彼の文章は、よく言えば冷静で、悪く言えば冷酷なものに感じられました。春樹氏は登場人物よりも一段高いところにいて、常にその高みから物語を見下ろしながら「僕」や「すみれ」に彼の言いたいことを言わせているのです。小説というのは得てしてそういうものなのかも知れないけれど。神様の目線から綴られた高度に洗練されているものよりも、地べたを這いつくばって泥臭さ溢れ出てるもののほうが好きなのだろうな、わたしは。

あー、決してポジティブな感想ではないのに表明したくなってしまうところも彼の作品の魅力の一部なのかもしれないですね。なんか悔しい。

 

 

ブログ事始め

思い返してみると、わたしは幼い頃から「ことば」というものが好きだったようだ。

幼少期は近所の図書館に足繁く通い、母が読み聞かせてくれる『ピーターラビット』に抱腹絶倒していた。小学生の頃はもらったそばから国語の教科書を読破するような子供だった。中学に上がると語学学習の面白さに目覚め、競泳のイアン・ソープ選手に英語でファンレターをしたためたこともある。大学時代は言葉のしくみに興味を持ち、言語学というものを(なんとなく)学んだり、大学を(やっとこさ)卒業した後は企業広報としてプレスリリースやメールマガジンを執筆したりもしていた。

社会人として公的な立場で情報発信をする機会はあったけれど、私的な感情や考えを「人に読まれるもの」として発信したことはなかったように思う。高校生の頃から書きたいときだけに書く日記風ノートだけは書き続けているが、とても人様に見せられるような物ではない。「虫歯になって健康の大切さに気づいた」という至極初歩的な教訓が述べられている日があれば、飲み会で酔っぱらった際の愚行が克明に記されているにも関わらず「反省はしていない」と謎に強気な宣言がなされていたり...自分で読み返すことすら恥ずかしい。とんだ阿呆日記である。

そんな阿呆ほとばしる日記の作者でも、書いた文章に「上手い」「面白い」「読んでみたい」といった感想をもらえることがこれまでに幾度かあった。そのときの嬉しさたるや。作文や読書感想文のコンクールでささやかな賞をいただいたこともあったっけ。阿呆日記も、もう少し理性的に文章を整えれば、誰か一人くらいはクスッと笑ってくれるかも。継続は力なりと言うし、コツコツ書き続けていれば、わたしの言葉がわたしの身を助けてくれる日が来るかもしれない。

そういった思いがあって、このたびブログというものを始めてみることにしました。齢三十にして平成ラストイヤー。いい節目ではありませんか。元旦に立てた計ならば、せめて一月中に実行に移したい。という訳でとりあえず、滑り込みのはじめの一歩です。