シンクロニシティ?
先月、『レインコートを着た犬』をという本を図書館で借りて読みはじめました。本好き界隈ではお馴染み、クラフト・エヴィング商會として活動する吉田篤弘さんの著作です。この本では一匹の犬の目線を通じてとある町の人々の人間模様が綴られていきます。犬の名はジャンゴ。だけど、ある登場人物からだけ「アンゴ」と呼ばれている――そんなくだりに、そういえばと思ったら、一緒に借りたのは坂口安吾だった。特に意図した訳でもなく、何の気なしに借りたのに。こういうのがシンクロニシティってやつかしらん、と思ったりしたのです。
その週末、起き抜けに『レインコートを着た犬』の続きを読み始めました。キウイとバナナの入ったヨーグルトを食べながら。あれ、この組み合わせどこかで見たぞと思ったら、表紙と同じ色彩ではないですか!鮮やかな黄緑とクリーム色のツートーン。またしてもシンクロニシティ。この本には色々な偶然が起きるなあ。
そして今月、安吾の近くの棚にあった武者小路実篤氏の『人生論・愛について』を読み始めました。恋愛についての頁にこんな文章がありました。
「人生にもし恋愛がなかったら、人生は今よりずっと無味乾燥になり文学、美術の世界はずっと貧弱なものになるであろう。
恋愛は人生の詩である。花である。喜びであり、美である。
我等は小説の人物の恋の為に好んで涙をながすものであり、一緒になって心配し、又喜ぶものである。ダンテにとってのビアトリーチェはダンテを神の世界に導く力を持っていた。真の恋にはそういう力があるのだ。」
文章の美しさを噛みしめるよりも先に、ダンテの三文字が飛び込んできただけでドキドキした。一緒に借りたのが『神曲』だったから。またしてもシンクロニシティ。
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こういうことが続くと、偶然なのか必然なのか、そもそも偶然とは一体何ぞや?とか、考えてしまう。
今年の春、地方にいる友人から久々に連絡がありお互い仕事のことで同じように悩んでいることがわかったとき。二年前の秋、わたしが今の家に引っ越してきて、近所のライブハウスに足を運んでみたら、何年も前に神奈川の山奥の小さなヒッピー系フェスで出会った子が出演者のひとりとしてステージに立っていたとき。
宇宙の引力というか、なるべくしてなってるのかな、と思わされるのよね。
だって、たまたま役所に転居届を出すのに午前半休をもらっていて、たまたまその帰りに電車の中でTwitterを見ていたら、たまたまフォローしているDJの方がライブ情報をリツイートしていて、たまたまその会場がわたしの家の近くで、たまたま仕事も早く上がれたから無事ライブに行けて...と、数あるたまたまのどれかひとつでも欠けていたら起こりえなかったことだと思うと、これはもう偶然では片づけられない、何か素晴らしいことが起きているぞ、と。
もしかしたら、なんの因果もないのかもしれない。なんの意味もないのかもしれない。それでも、偶然が重なったというその事実だけでどこか奇跡的だとわたしは思うし、そこに何か意味を見出したくなってしまう。事実は小説よりも奇なり。